コロナ関連の情報(デマも含め)に右往左往するここ最近ですね。
まだわからないことも多く、日々新情報が出てきて、、ちょっと前に言われてたことが違ったり。
こんな状態でも、リーダーは何か決断して進まないといけなく、それはとても大変なことだろうと思います。
そして、決断した後色々と付随して問題が起こった時に何かしら対処して行かれるのだと思います。
その、色々と起こってること、が何かを知ることはきっとリーダは知る必要あるし、知りたいですよね。
ですので、今回自粛要請(要請ってのが、、まぁ微妙なことを生んだようなきもするけど)で、色々な業種の方々が廃業の危機に面したりしていて、
それがどういう業種がどういうようなことで危機に面しているのか、ってのをそれぞれが政府に訴えることは必要なことだと思います。
でも、その訴え自体に文句を言う人が出てきたりするようで。びっくりします。
例えば、クラシック業界や俳優業界の方々の訴えに対して、批判してる人がいるようです。
フリーランスを選んだお前らが悪い、とか、普段好きなことをしているのに、とか。
でも税金、、みんな払ってられますしね。
そして、自分らだけを助けてくれ、と言ってるのではなくて、この業種はこうなってるんだよって声をあげてるだけ。
それを批判するのは、筋が違うな〜と思う。
どの業種であっても言うべきだと思いますよ。
それを知った時に思うことは、この人もこの人も困っている、みんな頑張ろう!で良いのでは。
エンターテイメントや芸術を軽く見てる気持ちがそう思わせてしまうのか。。
生命に直接関係がない、と言う人もいて、それも一理あるなって思ってしまうこともあります。
平和な時にしか必要とされない、、とか。
でも、本当かな?!と思う。
ドイツの文化大臣がアーティスト支援の声明を発表されたと何かの記事で読みました。
今は仕方がない時だけど、芸術や文化は良い時のみに与えられるものではないから、小さな文化機関やアーチストを見捨てない、と。
素晴らしい才能が咲きかけの人が廃業するかもしれない、、今回のことで。それは社会の損失になるということかと。
国によっての、芸術へ対しての理解の違いかもしれないですね。
俳優さんや、音楽家が廃業する事は、社会に痛手があると思います。
一人の人が芸術家になる、そのためにどれだけの時間と人生とをかけて積み上げないとできないのか。
しかも、技術を手に入れたとしても、それだけで大成できるわけではない。
一朝一夕でなし得ない、普通の人では到達でき得ないことをやり遂げてくれてるからこそ
聴衆は、それによって生きる楽しみや希望をもらってます。
だけど、それが断たれてしまう可能性がある。
芸術とは、、と自分が考えた時に、これだなと思う答えの一つは、夏目漱石の「草枕」の冒頭なんです。
「山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画(え)が出来る。
人の世を作ったものは、神でもなければ鬼でもない。矢張り向こう三軒両隣にちらちらする唯の人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりも猶住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い。
住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、有難い世界をまの当たりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。」
後、個人的に感じるのは、社会的生産性が無いものは人間社会に必要ない、とか言ってお年寄りを助ける事に疑問を持つ人、障害を負った人を切り捨てる感覚、それに近しいものがあるように感じて。
何を持って、人間社会というのか、お金のやりとりだけが社会なのか(それがなかったら生きてもいけないのですが)
感動や希望、人を大切に思う心、というものは何より生きる上で必要な事で、←こう書くと綺麗事のようでありますが、綺麗事ではなく今実感してますし、実際にそうだと思います。
そういえば、先日ピアニストのシフがコンサートへ来れない人のために、Youtubeでライブ中継をしてくださったのですが
その演奏を聴いて、お話を聞いてたら、この不安な毎日で疑心暗鬼な心に希望の光がさ〜っと差し込んできたんです。
もしよろしければ、こちら見てください(^^)
ベートーベンの不屈の精神、今こそ人間に必要なんだわ〜とか思ったり。
話は少し変わりますが、音楽は勉強にはいらないって思う人もいたりしますね。
古代ギリシャの学問でも、数学、幾何学、天文学、と並んで音楽を教養として学んでいましたが
(参考までに→)ピティナのページにそれに関する記事が
ただ楽しむと言うよりは、人間の精神の調和のための考えや意識を知るためのものであったんですよね。
人間にとって、音楽は大事な事だと思います。
と、久々に色々と思う事を書いてみました。
人間は、自分の立ち位置から見える事、感じること、それにより考えること、、がまずありきなので、自分のこの日記もそうなってしまってると思います。
ただ、それぞれが思うこと、それを発信すること、それを受けてそんな考えもあるのかと心の中でシェアすること、それで良いのかなと思います。
かと言って、ツイッターとかの140文字では、言葉尻を捉えてわけのわからない批判の応酬につぐ応酬で何がなんだかわからなくなって、疲れてしまいますね。難しい世の中です。今に始まった事ではないのかもしれませんけど、、普遍的な人間社会のことなのかもしれませんね。
何れにしても、ずっとこのままじゃないと思うので、人間の乗り越える力を信じて頑張っていきたいですね!
まだわからないことも多く、日々新情報が出てきて、、ちょっと前に言われてたことが違ったり。
こんな状態でも、リーダーは何か決断して進まないといけなく、それはとても大変なことだろうと思います。
そして、決断した後色々と付随して問題が起こった時に何かしら対処して行かれるのだと思います。
その、色々と起こってること、が何かを知ることはきっとリーダは知る必要あるし、知りたいですよね。
ですので、今回自粛要請(要請ってのが、、まぁ微妙なことを生んだようなきもするけど)で、色々な業種の方々が廃業の危機に面したりしていて、
それがどういう業種がどういうようなことで危機に面しているのか、ってのをそれぞれが政府に訴えることは必要なことだと思います。
でも、その訴え自体に文句を言う人が出てきたりするようで。びっくりします。
例えば、クラシック業界や俳優業界の方々の訴えに対して、批判してる人がいるようです。
フリーランスを選んだお前らが悪い、とか、普段好きなことをしているのに、とか。
でも税金、、みんな払ってられますしね。
そして、自分らだけを助けてくれ、と言ってるのではなくて、この業種はこうなってるんだよって声をあげてるだけ。
それを批判するのは、筋が違うな〜と思う。
どの業種であっても言うべきだと思いますよ。
それを知った時に思うことは、この人もこの人も困っている、みんな頑張ろう!で良いのでは。
エンターテイメントや芸術を軽く見てる気持ちがそう思わせてしまうのか。。
生命に直接関係がない、と言う人もいて、それも一理あるなって思ってしまうこともあります。
平和な時にしか必要とされない、、とか。
でも、本当かな?!と思う。
ドイツの文化大臣がアーティスト支援の声明を発表されたと何かの記事で読みました。
今は仕方がない時だけど、芸術や文化は良い時のみに与えられるものではないから、小さな文化機関やアーチストを見捨てない、と。
素晴らしい才能が咲きかけの人が廃業するかもしれない、、今回のことで。それは社会の損失になるということかと。
国によっての、芸術へ対しての理解の違いかもしれないですね。
俳優さんや、音楽家が廃業する事は、社会に痛手があると思います。
一人の人が芸術家になる、そのためにどれだけの時間と人生とをかけて積み上げないとできないのか。
しかも、技術を手に入れたとしても、それだけで大成できるわけではない。
一朝一夕でなし得ない、普通の人では到達でき得ないことをやり遂げてくれてるからこそ
聴衆は、それによって生きる楽しみや希望をもらってます。
だけど、それが断たれてしまう可能性がある。
芸術とは、、と自分が考えた時に、これだなと思う答えの一つは、夏目漱石の「草枕」の冒頭なんです。
「山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画(え)が出来る。
人の世を作ったものは、神でもなければ鬼でもない。矢張り向こう三軒両隣にちらちらする唯の人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりも猶住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い。
住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、有難い世界をまの当たりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。」
後、個人的に感じるのは、社会的生産性が無いものは人間社会に必要ない、とか言ってお年寄りを助ける事に疑問を持つ人、障害を負った人を切り捨てる感覚、それに近しいものがあるように感じて。
何を持って、人間社会というのか、お金のやりとりだけが社会なのか(それがなかったら生きてもいけないのですが)
感動や希望、人を大切に思う心、というものは何より生きる上で必要な事で、←こう書くと綺麗事のようでありますが、綺麗事ではなく今実感してますし、実際にそうだと思います。
そういえば、先日ピアニストのシフがコンサートへ来れない人のために、Youtubeでライブ中継をしてくださったのですが
その演奏を聴いて、お話を聞いてたら、この不安な毎日で疑心暗鬼な心に希望の光がさ〜っと差し込んできたんです。
もしよろしければ、こちら見てください(^^)
ベートーベンの不屈の精神、今こそ人間に必要なんだわ〜とか思ったり。
話は少し変わりますが、音楽は勉強にはいらないって思う人もいたりしますね。
古代ギリシャの学問でも、数学、幾何学、天文学、と並んで音楽を教養として学んでいましたが
(参考までに→)ピティナのページにそれに関する記事が
ただ楽しむと言うよりは、人間の精神の調和のための考えや意識を知るためのものであったんですよね。
人間にとって、音楽は大事な事だと思います。
と、久々に色々と思う事を書いてみました。
人間は、自分の立ち位置から見える事、感じること、それにより考えること、、がまずありきなので、自分のこの日記もそうなってしまってると思います。
ただ、それぞれが思うこと、それを発信すること、それを受けてそんな考えもあるのかと心の中でシェアすること、それで良いのかなと思います。
かと言って、ツイッターとかの140文字では、言葉尻を捉えてわけのわからない批判の応酬につぐ応酬で何がなんだかわからなくなって、疲れてしまいますね。難しい世の中です。今に始まった事ではないのかもしれませんけど、、普遍的な人間社会のことなのかもしれませんね。
何れにしても、ずっとこのままじゃないと思うので、人間の乗り越える力を信じて頑張っていきたいですね!